ラッキージュース

ポジティブな思考で後悔の少ない人生に

タンザニア2日目は人生で1番壮絶だった。これを超える日はおそらくない。

おはようございます。

 

久しぶりの投稿ですね。というのも、キリマンジャロに登っていたので投稿ができなかったんよ。Wi-Fiあれば携帯がインターネットとつながるかなぁと思ったけどなんかできなかった。

 

ま、この投稿はタンザニアに着いて、次の日の1日について書いていく。

 

あらかじめちょっと説明すると、この日はまじで疲れた。あんまり「疲れた」とか「だるい」とかは使いたくない言葉の1つなんだけどほんとこの日は疲れたね。

 

はい、ではタンザニアに着いて、次の日の1日をお話しします。

 

 

朝ホテル出発まで

まず6時ごろ起きて、顔を洗ったり、歯磨きしたり、ヒゲを剃った。キリマンジャロ登山終えたその次の日のホテルを7 USドルの安いのがあったので、そこも予約した。そんで、前日の夜に明日やらなきゃいけないことリストを作ってあったから、その準備をして出かけた。Wi-Fiあれば携帯使えるんだけど、街ではないから地図をスクショしたりして街に行った。迷いたくはなかった。とりあえず、第一の目的は「Wi-Fiのないところでも携帯をネットに繋ぐこと(海外SIMカードの購入)」だな。

 

 

ホテルからAirtelまで

で、歩くんだけど、そのホテルから街までが徒歩40分、ま時間はあるから「(歩くか)」って感じで出発した。それが8時半ごろ。

でよ、アフリカはあっっついのよ。この暑さが私により疲れを与えたね。ホテルから外に出るとムワっとする暑さ。日差しも強いし。

昼間のアフリカは初めてなので風景を初めて見た。アフリカはやっぱり田舎だなと感じた。日本の田舎だと、例えば北海道は広大って感じだけど、タンザニアのモシはむさ苦し狭い暑いうるさい。こんな感じ。要するにうざいってこと。

バナナが道端で売られていたり、バイク乗りが「乗ってく?」みたいなノリで話しかけてきたり。ま、日本ではないところにいるなって思ったね。

そんでしばらく歩いていると、やけに話しかけてくる人がいたのよ。バイク乗りの人(23歳くらい)なんだけど、「街まで連れてくよ」って。怖かったけど、ぶっちゃけ私も街まで遠いし暑い中歩くのしんどいし、ちょっと日本ではできない経験だしやってみよって思った。だから「無料?」と連呼して「そうだよ」と返ってきたので、バイク乗りの人の後ろに乗った。

そのバイクで、私は「SIM card」が欲しいって伝えた。すると、バイク乗りは「エアテリ」「エアテリ」って。私「ん?エアテリ?何それ?」って言うんだけど、向こうの英語が全く分からず、とりあえずSIM カードを買える所に連れてってもらうことに。。。

そんで着いた場所、そこは「Airtel(エアテリ)」という、携帯の通信会社みたいなところだった。

 

 

AirtelからSIMカードの購入を決断するまで

Airtelでまず「SIMカードが欲しい」と伝えた。そしたらAirtelのスタッフ2人(24と27歳くらい)と、たまたまそこのお店の近くにいた40歳前後のおっさんと、私をAirtelまで送ってくれたバイク乗りと、私の合計5人で、SIMカードはどれがどのくらいで、どうなのか、みたいな会話した。したかった。実際はできなかった。私、英語があんまり聞き取れなかった(知ってる)。だから私が持ってたノートの紙に書いて説明してもらうことにした。

ここで「何でそうなるん?」ってツッコミを入れたくなる小話ね。その紙にSIMカードについて説明してくれたのは、Airtelのスタッフではなく、近くにいたおじさん。スタッフはよく分からん言語でなんか話してる。おじさんだけ私に英語を紙に書いて説明してくれた。

うん、一旦、状況を整理するね。黒人4人とアジア人1人が英語で会話してる。けど、アジア人は英語があんまり聞き取れない。んで結局は、スワヒリ語で会話される。。。うん、不安すぎる。やばいよ。アフリカに来てまだ2日よ。しかも昨日なんて夜に着くフライトだったから、実際この日が初日だぜ。まーーじーーで、不安と恐怖とやばいな、って思ってた。

で、そのおじさんの説明のおかげで、私が買うべきSIMカードが分かり、それ買おうと思った。けど、お金がなかった。usd(アメリカドル)は持ってたけど、tzs(タンザニアシリングといい、タンザニアのお金)がなかったんよ。だから、「銀行に行ってこい、彼(バイク乗り)が送ってくれるから」とのこと。私は「まじかー。usdダメなんか。また2人乗りか。」って感情になる。

そんでそのバイク乗りが近くの銀行まで連れて行ってくれた。銀行のATMに着くが、海外のATMは初めてだし、いくら現金を下ろせば良いかも全く分からん。だから、バイク乗りや銀行の近くにいたおじさんに助けてもらった。とりあえず、(多分)ATMで降ろせる最高金額400000tzsを下ろせた。

んでATMから出て彼のバイクに乗ろうとした時、人1人くらいの大きいアフリカ大陸の世界地図を持ったおじさんに話しかけられて私は少し話してしまった。けど後から気づいたけどしょうもない勧誘だったから、断った。なんか怖かった。知らん人に話しかけられたら、断る。海外の常識だなと学んだ。

銀行からお金を下ろして、再度Airtelに向かった。そこでは、私の携帯にSIMカードを入れて、設定をいじっている最中だった。ここでハッと気付いた、「私、私の携帯を渡したまま銀行に行ってたんや」と。までも、良くも悪くもSIMカードの設定がうまくできないみたいで平気だった。私も言語を日本語に変えてSIMカードが使えるように色々と試してみるも全くできず。

だから、私はSIMカードの設定ができず、携帯が使えないなら「SIMカード買わない」っと紙に書いて説明したんよ。そしたら、「このSIMカードはあなたのリクエスト通りに登録してあるから、支払わなければならない」って。スタッフではなく、おじさんが紙に書いてきた。私「(まじか、最悪や、くそ。)」って。でも逃げることもできないので、買うことを決意した。

 

 

SIMカードの購入を決断するところから身柄の解放まで

SIMカードを買う事は決まったけど、肝心な「Wi-Fiが無いところでスマホが使えない」という問題は解決したわけではない。

そこに色々説明してくれて、支払わなければならないよって言ってきたおじさんが「ポケットWi-Fi買えば?」って、「そしたらこのSIMカードも使えるよ」って言ってきた。話を聞いてると、AirtelでもポケットWi-Fiを売っているが、それではなく、別の場所にそれは売ってるとのこと。だから私たち(おじさん、Airtelスタッフ1人、バイク乗り、私)の4人でそれが売られているお店に歩いて移動した。歩いて、3、4分のところらしい。

その店への道中、先に歩く3人が細く薄暗い道を通った。私は不安になって「私を騙そうとしてる?違法な金を請求するのか?」とその道の手前で聞いた。そしたら「私たちは安全だ」って。そら口では言えるだろ泣。ま、結局付いて行くことにしたけどさ。

ちょっとして、ポケットWi-Fiを売っているお店に着いた。それはめちゃ高くて買うか迷ったけど、なけりゃスマホがほぼ使えないので買うことにした。ついでにそこで、日本に忘れてしまったモバイルバッテリーの充電コードも買った。そんで、そこでおじさんにSIMカードの代金、お店にはポケットWi-Fiとそのコードの代金を払った。

ここで全ての代金は支払ったから、ちゃんちゃん。と終わるわけではないのが海外。

チップを要求された。もう強制的にチップを払わなければならない状況だった。だから払った。おじさんとバイク乗りには10000tzs(日本円だと556円くらい)、Airtelスタッフには2000tzs(お店の代金のお釣り)だったと思う。

そして、そのお店を出てちょっと歩くと、バイク乗りが私はもっと欲しいみたいな事を言ってきた。最初は断ったけど、「Airtelから銀行から色々と送迎してくれたからいっか」と思い、更に10000tzs払っちまった。そのバイク乗りから、「携帯番号を教えてよ」って言われたけど、流石に怖いので、これは断った。んでやっと解放された。正に身柄の解放だった。

バイク乗りと会って解放まで、3時間くらいの出来事だった。

 

 

身柄の解放から絡まれるまで

分かるかな。本当に本当に本当にすごく疲れたんよ。ただでさえ黒人と話すのがドキドキするのに、言語が英語だし、日本人1人で心細いし、ずっと外で暑いし、騙されているのかずっと不安だし、チップとか分からんし。本当にマジですんごい疲れたんよ。分かって欲しいなこれ。

そして、私は通りかかった道にたまたま薬局を見つけた。そこで喉が渇いていたので、水とダイアモックスを買った。ダイアモックスとは、空気の薄いところで頭痛等が発症する高山病対策の薬ね。明日から登るキリマンジャロの最高峰は5895mと6000m近い標高であるので、買っとこと思い買った。

こんな感じでフラフラ歩いて、寄りたい所に寄って買い物をする。シャバの世界の生活をしていた。この身柄の解放は久々にひと息つけた気がした。

けど、それもつかの間。

Airtelからの身柄の解放からおよそ15分後、「こんにちは(カタコト)」と話しかけてくるアラサーくらいの人に話しかけられた。んで、私が「日本人だよ」って言ったから、更に食いついてきた。けど、しつこいから「腹が減ってる、レストランを探してるからあんたに興味ないよ」とも伝えた。

 

 

絡まれるところから4daysツアー契約まで

そのアラサーくらいの人はツアー会社の人みたいで、名刺を渡してきた。私はキリマンジャロ登山ツアーの予約はしていたけど、サファリツアーの予約はまだ(実はスイスで別の会社のツアーを予約したけど、タンザニア着いて金がないってなったのでキャンセルした)だったので、すんごく迷ったけど、そのツアーの話だけ聞くことにした。

歩いて2、3分のそのツアー会社のオフィスは小さくボロい建物だった。けどその中は、スワヒリ語英語はもちろん、日本語も割と見かけることができるくらいの親日を感じる所だった。そこでは、その会社のボスと主に話した。アラサーももちろん同部屋にいる。わたしは4daysのサファリツアーがしたいと伝えた。

そのオフィスではそのツアーの説明を聞いたり、ボスの日本に観光しに行った時の写真を見たりした。そして私にとっての最重要項目である値段の話をした。私がトリップアドバイザーというアプリで見た限り、チップを含まないで約14万円のツアーが4daysサファリの最低価格だった。しかし、私が今いるツアー会社のボスは「750usd(10万円を切る値段)で4daysサファリでどうだ?」と、言ってきた。しかも、チップ、レンタルも込みで。(けど、まだそのツアーをやる前にこの投稿を書いているので、実際はどうなるか分かっていない。)

私は「650usdはダメなんか?」と聞いたが、ボスは「これが最低価格だよ」と、「750usdが高いなら、3daysサファリにするなら安くなるよ」と。私はま、ある程度は安いからまいっかということで、750usdの4daysサファリを契約することにした。

契約の条件で150usd現金で払わなければならなかった。けど、この現金は、キリマンジャロ登山ツアーのチップ代として残してるお金だから払いたくなかった。迷ったけど、結局150usd現金をサファリツアーの会社に前払いした。

 

 

4daysツアー契約から2度目の身柄の解放まで

時刻は13:20頃オフィスを出た。まずは現金がないので銀行にアラサーが案内してくれた。その際農家がやってるマーケットも案内してくれた。

そして、私は朝から何も食べていないので腹が減っている。アラサーことツアー会社社員は、私がレストランを探している事を話しかけてきた時に既に知っているので、レストランを案内するよということになった。私は「安いところが良い」と伝えた。そしたら、地元の人が食べるところを案内された。

そのレストランは建物の中を一回通った奥にある、薄暗いレストランだった。そこは、メニュー表は無く、何がいくらして、どのくらいの量なのかも全く分からなかった。アラサーがお店の人のスワヒリ語を英語に翻訳してくれたけど、3割くらいしか言ってることが分からなかった。もう分からないので、アラサーが説明してくれた料理を「それでいいよ」くらいのノリで注文した。

アラサーとはもう別に話す事が無い(用済み)なのに、彼はずっと私の隣にいた。そして、ある程度時間が経って出てきた料理は、豆と肉ときゅうりのサラダと米とスイカだった。皿も綺麗ではないし、スイカとサラダが米と同皿で嫌だった。味も良くない。けど腹減ってたから、それなりには食えた。そんで会計ね、1100円くらいだった。高いと感じたけど、メニュー表なくて、値段が分からないので仕方なく払った。今思えば、高いと伝えれば良かった。

そのレストランの後、アラサーは「アートを紹介するよ」って別のお店に私を案内した。んで、「この絵は、俺が書いたんだぜ(買ってくれ)」と言われ、興味ないときっぱり伝えた。そしたら、Tシャツやら雑貨をおすすめされた。いい加減うざいので、別れるためにチップを渡して、私はアラサーと別れた。

本日2度目の身柄の解放である。

 

 

2度目の身柄の解放からホテルに帰るまで

身柄が解放されたのは良いものの、キリマンジャロ登山ツアーのチップは、現金かつusdで支払うのがbetterみたいだった。しかしそれを払うだけの現金を私は持ち合わせていなかった。だから萎えてた。んでもう疲れたからホテルに帰ろうとしていた。

そしたら、たまたま通りかかった所に銀行があった。だからそこで、tzs(タンザニアシリング)をusd(usドル)に両替できるか受付の人に聞いたら、「できるよ、パスポート見せて。」と言われた。パスポートのコピーは持っていたから、それを見せたら、「オリジナルが必要だ」と。まじかーと私はまた萎えてしまった。

その理由は、オリジナルのパスポートを持っていなかったことではなく、オリジナルのパスポートを取りにホテルに戻るのがしんどいから。片道徒歩40分以上かかるんだぜ。それの1.5往復を今からすることになるんだぜ。30度近い暑い中の知らない道を。

けどチップのためにはやるしかなかった。だから、急いでその銀行を出て、走ってホテルに向かった。

暑い中ずっと走ってた。きつかった。でも、ホテルへ向かう途中の残り5分の1くらいの道で、「無料で乗せてあげる、行く方向が同じだから」って、言ってくれた人が現れた。だから、その人のトゥクトゥクに乗り、んでホテルのやや手前で降ろしてもらった。ありがとうございます。

そんでホテルに帰れたわけだ。

 

 

ホテルに帰ったところからusdに両替するまで

ホテルに着いたのは良いものの、これからまた外に出るのがしんど過ぎた。一回ベッドに寝っ転がると、これまでの疲労が少しは楽になった気分になった。けど両替する銀行が閉まる時間が迫っていたから充分にゆっくりできなかった。だけど、荷物を整理してより軽くすることはできた。んでパスポートを忘れずに入れて、再度街へ出発した。そう、気温30度近い中の徒歩40分の道のり、そこには再度私の足が立っていた。

こっちのホテルから街への片道は、疲れ過ぎていたので、あんまり走れなかった。それでも銀行の閉店時間があるので急いだ。16:30閉店だが、16:10くらいにはそこに着くことができた。

その銀行で再度、tzsをusdに両替したいと伝え、オリジナルのパスポートを渡して、この列に並んでと案内された。その列は並んでいる人は4,5人、その受付先は5つと、すぐに案内されそうだった。しかし、1人1人に時間がかかったり2回割り込みされたので、15分くらい列に並んでいた。

その列に並んでいる間、海外版LINEみたいな「WhatsApp」というアプリをダウンロードし、サファリツアーのボスにメッセージを送ったりしてた。

ようやく来た私の番で、私は両替したいことを伝え、ある程度のtzsは手元に残しつつ、ほとんどのtzsを渡した。しばらくして、180usdと少しのtzsが返ってきた。私は200usdはあると見込んでいたので、180usdと言われた時かなり落ち込んだ。そして、「少ない」とまでいちゃもんを言ってしまった(後でちゃんと計算したら、180usdで間違いありませんでした)。

両替はなんとかできた。

 

 

usdに両替したことから再度ホテルに着くまで

そんなこんなの当時は不安いっぱいで両替を済ませた。チップ代が全く賄えない金額しか両替できなかったので、萎えすぎてドダイトス96レベルくらいに私はなっていた。そして僅かながらホテルに帰ったらゆっくりできる。そんな希望もあった。

この銀行からホテルまでの道のりに比較的大きなスーパーがあるので、そこに立ち寄って、1.5Lの水2本と食パンを1斤?一本?買った。

それを持って、夕方とは言え25度近くの道を歩いていた。そしたらどんくらいだったか、ホテルへ残り20分くらいの道で、私をバイクに乗せてAirtelに案内してくれたあのバイク乗りにまた後ろから声をかけられた。驚いたね。また再開するとは。

ホテルに帰ってると伝えたら、「乗せてくよ」って。お言葉に甘えて乗せてもらうことにした。そんで、ホテルに行くやや手前の、大通りから小通りに入る手前の角で、彼はバイクを止め、私たちは少し話をした。その時にもう一回電話番号を聞かれた。今回は伝えた。そしてWhatsAppの友達にもなった。そして、しばらく話をして、解散した。ありがとうなバイク乗りこと、「Mahiki」。

そしてその小通りからホテルに私は歩いていた。そしたら、ハイエースくらいの大きな車から話しかけてくる人がいた。彼らは私が明日から参加するキリマンジャロ登山ツアー会社のメンバーだった。その中にガイド(登山ツアー中の責任者)の人もいた。ひとまず、その車に乗り、私たちは私の泊まっているホテルへ向かった。そして間も無くして着いた。

 

 

再度ホテルに帰ったところから、3度目の身柄の解放まで

再度ホテルに着き、私はそのガイドと私の宿泊している部屋に入ることになった。というのも、彼は私の持ってきている登山の荷物を確認して、キリマンジャロで必要な物、そして足りないものを見定めるためだった。だから、私はスーツケースに綺麗にしまってあった登山荷物を全部出すことになる。これは何で、それはこれこれ、こっちはこうで、あったはこう。ほぼ全ての荷物を出した。から部屋はぐっちゃぐっちゃになった。

最終的には、そのガイドからキリマンジャロ登山の説明や注意点を聞いた。けど、私は英語が上手く聞き取れない。分かるところも勿論あるけど、全部を理解するのはできなかった。

そして説明が終わると、質問はあるかとなった。私はチップの相場と、それを聞いた上で現金だと十分に持っていないことを彼に伝えた(気がしたていた)。何て返答されたかは、分からなかったが、チップの不安を取り除くことはできなかった。

私はそのガイドと外に出て、写真を撮った。(後に彼とインスタ交換した時に知るが、その写真は彼のインスタに投稿されていた。)

んで、彼らは帰って行った。

本日3度目の身柄の解放である。

 

 

3度目の身柄の解放から寝るところまで

(これが最後の章です。ここまで読んでくれてありがとうございます。これでこの長い日が終わります。)

ガイドが帰った後、部屋に戻ると、その部屋はぐっちゃぐっちゃになっていた。けど片付ける気分になれなかった。いち早くベットに倒れ込んだ。だって疲れ過ぎたんだもん。

しかし、明日からはキリマンジャロ登山が始まる。しっかりと準備しなくてはならなかった。だからとりあえずは買ってきた食パンと水を飲みつつ、スマホをいじりつつ過ごした。そして、ある程度落ち着いたら、キリマンジャロ登山の準備を部屋を片付けながら行った。日本の出国前は荷物を綺麗にパッキングしてあるけど、一度出すとそのように戻すのは大変なんよ。うん、実はこの作業はかなり面倒。

そんで、ついに荷物の準備も9割くらい終えた。残りの1割は電機系の充電をギリギリまでしたいから残した。

そして、寝た。寝れた。やっと寝れた。しかし、チップの不安は残ったまま。。。

この日は本当に壮絶で疲れずきた。

 

 

 

 

長いからまとめるね。

朝起きてホテルを出発し、バイク乗りにAirtelまで乗せてもらう。SIMカードの設定ができないので、ポケットWi-Fiを買う。つかの間の解放を味わった。サファリツアーを契約して、美味しくないご飯を食べる。パスポートを取りに一度ホテルへ戻り、再度街へ行く。何とか両替しホテルへ帰還。キリマンジャロの用意を済ませて寝る。

 

 

 

まじでこれ以上ないというか、あって欲しくないと強く強く思う疲れた1日だった。

ま、ポジティブに考えれば、ほとんどの日がこれ未満の疲労しか感じない日なので、今後、私の人生は楽になりそう。

 

タンザニア着いて2日目は、人生で1番壮絶な日でした、そんな話でした。

 

 

長いけど読んでくれてありがとうございます。

これはかなりの大作です。これを書くために2月7日の7時間くらい費やしました。ご評価いただけると嬉しいです。

 

じゃまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の余談「閉じ込められた(?)」

この大作を書いているのは、タンザニアのモシという街のとあるゲストハウスなんですね。そこでは、部屋に鍵を使って出入りするんだけど、その鍵を私は失くしてしまい内側から出られない状況に一瞬なった。最初は、「鍵盗まれた」とも思った。

けど、結局は3分くらい探して、見つかった。心拍数がぶち上がったと思う。

「この部屋でずっと過ごすのかな」と大袈裟だけどそう思ったね。

貴重品の管理は大事だね。

うん、けど当たり前のことを当たり前にする。これって案外難しいよね。