おはようございます。
4月16日の毎日投稿を書き始めております。
最近はスマホから投稿を書いていましたが、本日のこのラッキージュースはPCで書いております。
PCでラッキージュースをやるメリットは簡単に文字が打ち込めることですが、読み込みが遅くて書き始めるのに時間がかかるのが使いにくいです。
一長一短ってやつ。
PCをサクサク動かすのにはどうすれば良いんやろ。
要らないものはゴミ箱に全部捨てたのに、重い。
PC自体のスペックが悪いんやろな。買い替えたいな。
どうでもいい話を書きすぎていた。
今日する話は、お葬式とかお墓についての私の考えを書く。
理由は明日お葬式やるから。
まずはお葬式。
これさ、誰のためにやってるん?
もしかしてだけど、故人とか言わないよね。
死んだ人のためにやる事ってあるん?なくね。
お葬式って結局さ、故人の関係者が集まってお話するだけじゃないか。
お経を聞いたり、ご焼香を上げたり、手を合わせたり、、
「何の意味があるん?」
場違いなこと言ってると思うけどさ、私はそう思う。
せめて私のお葬式くらいは、そんなことせずに開きたいなら開いてほしい。
そして、お墓についても言いたい。
人骨なんてどこに埋まってようが変わらなくね。
先祖代々引き継がれているお墓に納骨されようが、その辺の公園の地面に埋めようが、海に捨てようが、故人に感情ってもうない訳だし、どこでもよくね。
そんな骨って価値があるの。犬のようにそれを大事になめたいとかならわかるよ。
けど、ちゃうやん。
骨があったら故人を蘇生できるんか。骨があったら故人を思い出せるのか。
骨があっても無くても、変わらなくね。
それだったら、今を生きている人を大事にしろよ。
周りにいる人、会いたいって思う人、今日会った人、明日会う人、
死んでから大事にされるなんて、故人が望んでいるわけないやん。
絶対生きている間に大事にされたいだろ。
死んだらどうなるとかは一切分からないけど、生きている人の方が絶対に価値があると私は思ってる。
死んだから何、死ぬのって当たり前だよ。
今更何を悲しむ、いつもベストを尽くせば悲しむ事なんて無いだろ。
って思う。
要は「生きてる人を大事にベストを尽くせ」ってこと。
一個人の若僧の意見ですので、何か言ってるなって思ってくれて結構です。
じゃまた。
今日の余談「償い」
少し前の話しだが、91歳の高齢者ドライバーが車で人をはねて死亡させてしまった、というニュースを見た。
事故ることは悪いし、更に死亡させてしまうのって、絶対起こしてはならないことだと思う。
けど私が思ったのは、その高齢者ドライバーの人は償う刑期あるの?って話よ。
仮にその人がお金を大量遺族等に払えば、ある程度丸く治ると思う。
けど、そのお金はあるん?償う刑期はあるん?
命の償いって難しいよね。
命はお金でも時間でも変え難いからさ。
もういっそのことさ、ハンムラビ法典みたいに、その高齢者ドライバーも車で轢き殺せばいいんじゃね。
それが一番平等だよな、なんて、、。
償いって難しいよねという話でした。