おはようございます。
4月15日の毎日投稿を始めます。
今日は雨が降っていました。
雨が降っていると、何かテンション上がらないよね。
けど、雨って、生物が生きる上で絶対に必要なもの。
それは、もちろん人間にとっても必要、だけど植物から見れば雨はもっと必要。恵そのもの。
ありがとう雨。これからもよろしく。
昨日、祖母の家に行きました。
祖母が亡くなったその日(9日)にも行きましたが、昨日(14日)は亡くなって2回目の対面でした。
亡くなったその日はまだ体温を感じられましたが、昨日は全く感じられず冷たかったです。
亡くなったその日は手を握ると握り返してきたような感触がありましたが、昨日は手を握れませんでした。顔しか出ていませんでした。
亡くなったその日は親族で集まりましたが、昨日はお葬儀屋さんの人が来ていました。
けど、亡くなった日も昨日も、眠っているように目を瞑り寝っ転がっていました。息はありませんが。
生き物は必ず死にます。
何故でしょうか。
その回答は、
「種としてより長く生き延びるため」
だと私は思います。
古い遺伝子を殺して、新しい遺伝子を残すことで、より環境に適応した遺伝子が残ります。
強いものが生き残るのでなく、適応したものが生き残ります。
(そんな事を進化論で有名なダーウィンが言っていた気がします)
そうして、環境に適応したものがより長く生き延びるのでしょう。
人が死ぬとテンションって、上がりませんよね。
がしかし、死ぬことって生き物にとって必要なことです。
雨と同じ。
死ぬことって必要、絶対にあるべきこと。
案外、不必要なものこそ必要だったりする。
案外、どうでもいいことが、肝心だったりする。
意外とこんなことって多いんじゃないかな。
言いたい事は、不必要とかどうでもいいことに関心を寄せよう、ということではない。
必要な事とか大切な事に興味を持つ方が圧倒的に大事だと思う。
けど、不必要とかどうでもいいこと、そんなふうに思われているものにも、大事なことはあるよ。悪いことと良いことは二面性だよ。
そんな事を言いたい。
一つの側面からものを判断するのでなく、多角的多面的に判断する。それが大事なのでは?
そんな事を言いたい。
止まない雨はないし、死なない人もいない。
悲しい時はもちろんあるけど、それは一過性にすぎない。
もちろん楽しい時も一時的なものなんですが。
悲しいことでも、できるだけ楽しい方向に考えて生きれたらなと思います。
今日は、私の(調子が良い時の)考え方を書いたような内容になった。
までも、皆さんが生きやすいように考えれば良いと思います。
例えばネガティブに考えた方が、後々楽だとかね。
けど、皆さんが皆さん自身の考え方で生きづらさを感じているならば、捉え方をポジティブに変える考え方おすすめです。
「物事をどう考えるか、どう捉えるか」
⬆︎この考え方や捉え方自体を考えること、大事だと思います。
じゃまた。