ラッキージュース

ポジティブな思考で後悔の少ない人生に

二十歳の私が知覧で感じたこと

おはようございます。

 

突然ですが、「みなさんはいつ死にたいですか。自分自身の死を覚悟できていますか。」

 

死ぬ時期は決まっているわけではない。80歳?100歳?30って人もいると思う。というか死にたくないよって人もいても不思議はない。

 

身近な存在が亡くなった時に初めて死について実感するというか、普段は全く考えていないというか、考えたくないというか….

 

ま、あまり死について深く考えんよね。私もその1人。

 

 

はい、ではここでまた質問。

 

「あなたは明日死ねますか」

 

理由は何でも良いです。自身、家族、友人、国家、天皇、威厳等、のために。

 

この質問の答えが、「はい」の人。すごいよ。強いね。立派だ。言葉には表せないほど尊敬する。

「いいえ」これが大半の回答じゃないかな。

 

 

それは、およそ77年前の特攻兵も同じだったと思う。

いくら敗戦色が濃い戦時中、そして多少の洗脳があり、さらには上官には逆らえない。

もちろんその当時は、特攻に征く理由は今よりもある。

とはいえ、特攻の出撃命令が来るのは特攻前日。

 

そんな中で、家族にありがとうや天皇陛下万歳など遺書に書けるか。笑って征きます。元気に征きます。弟や妹をよろしく。って書けるか。

明日死ぬって分かってるんだよ。死ぬかもじゃないよ。死ぬんだよ。文字通りの必死作戦。

 

実際残されている手紙や遺書にはそのような文が多く拝見される。が、それは、軍の検閲が通ってるもの。それを通れない手紙や遺書というのは、兵士の本音、つまり弱音だったり愚痴だったりするのかな。

その晩声を殺して泣いていた人がいるくらいだもん。

軍の検閲を通った特攻兵の見栄を飾ってる平和会館に少し腹が立ってる私自身に、腹が立つ。

 

特攻、、、残酷やな。

 

そして、特攻に出撃した方々の当時の年齢は、二十歳前後。平均は21歳くらい。

私からすると、まさに同世代なんよ。

この読者さんも同世代の人いると思う。どう?

「あなたは明日死ねますか」

 

 

あと、特攻ってお前がやれの命令じゃなくて、私に征かせてくださいの志願制なんよ。もちろん当時のバックグラウンドはあるよ。でもさ、あなたはこの言葉が言えるか。死ぬことが確定している作戦に自分から名乗れるか。ましてや終戦直前の特攻兵なんて、どれも練習生を卒業して間もないペラペラの操縦士だよ。それは本人も理解してると思うし、そんな人の特攻機なんて敵軍からすぐ撃ち落されんだぜ。

 

それでも飛び立つ。

 

ここである歌詞を貼り付けます。

 

そうだ うれしいんだ
(い)きる よろこび
たとえ 胸(むね)の傷(きず)がいたんでも

なんのために 生(う)まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きることで
(あつ)いこころ 燃(も)える
だから 君(きみ)は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢(ゆめ) まもるため

なにが 君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのはいやだ!
(わす)れないで 夢を
こぼさないで 涙(なみだ)
だから 君は 飛ぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
(あい)と 勇気(ゆうき)だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

(とき)は はやく すぎる
(ひか)る星(ほし)は 消(き)える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵(てき)が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

アンパンマンのマーチ (mahoroba.ne.jp)(引用)」

 

 

 

有名な曲だからこの歌詞が何を意味していか知ってた人もいると思う。

アンパンマンの自己犠牲って深すぎるよ。。。

 

 

 

特攻を自分ごとに感じようとは言いません。それは無理だから。今の日本の状況と当時が違い過ぎるから。

しかし、当時を思い、特攻兵の気持ちを想像することは出来る。

 

そうすると、、、、

 

ここは各自の価値観を尊重する。

みなさんはどう感じるだろうか。

 

 

先日、鹿児島県の南九州市知覧に行った。そこの知覧特攻平和会館で刺さるものがあり、それで、上のような文章を書いてみた。

三角兵舎跡では、特攻隊員の宿舎であったので、重い空気を感じた。細い階段を少し上った先にある広めの跡地。上空を飛ぶ鳥たちが鳥なのか彼らなのか。感謝を伝えた。

そして戦闘指揮所跡では、南の空を見た。ここから開聞岳を超え沖縄へと飛び立った彼らの機体が頭に浮かぶ。このあたりが彼らの最期に立った陸地か。そう思うと足に力が入る。

 

 

これでも全てを伝えらてはないくらい、もっと感じたことがあった。それは現地に行ってみてくれ。

 

知覧、そこは日本の辛い歴史を肌で感じる異様な場所であった。

 

明日死ぬは大げさと思われそうだけど、明日死なない保証もどこにもない。

本当に心から1日1日を大切にしようと思えるきっかけになれば良い。それはまさしく私自身に一番言いたい言葉である。

 

我々今を生きる人は、笑って元気に生きましょう。

 

じゃまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の余談「現代の特攻兵?」

初めに忠告。これは特攻兵をバカにしているわけでは全くございません。

 

誰が現代の特攻兵かって。はい。お答えします。それは私です。

特攻を行う目的や時代等はもちろん異なりますが、相手に突撃したという観点からは同じ。

そんな交通事故を起こして、知覧に行く私の勇気を称えてください。私に人形を作り、滑走路の脇で泣きながら手を振ってお見送りをしてください。

そのくらいの勇気なんです!

ウソです。