おはようございます。
先日、学校の講義で戦争と平和に関しての話があった。
そこでは、戦争と平和の中間は存在するのかという問いであった。
ここで思った。戦争の対義語って平和なんかね。と。(辞書的にはそうだった)
仮にそうなら、「戦争」という言葉に色々と意味を含ませ過ぎていると私は思うな。私を含めた人々が考える戦争って、大戦のことなんじゃないかな。少なくとも私はそう思う。
だから、「戦争」の対義語は平和です。って言われてもピンと来んのよね。
ま、それでも辞書的に戦争の対義語は平和に決められている。
だから、それのことは百歩譲っていいよ。
けどさ、平和の対義語は?って聞かれたときに、「戦争」って答えられるかっていう話をしたい。
私なりの結論から言うと、平和の反対の状態、それは不幸だと思ってる。
「あなたは平和の対義語に関してどう思うだろか。戦争と思うだろうか。」
平和の辞書的な意味を調べると、戦争や暴力で社会が乱れていない状態とある。
だから、平和の対義語が戦争か。ふむふむ。確かに納得は出来るかもしれない。
では、質問を変える。
「大災害を受けた社会や、仮にも民主政治だが人権が不平等であったり、国民の多くが不満を感じる社会があるとする。このような社会は平和ですか。」
この質問の社会って戦争や暴力はもちろんないよ、でも平和かって聞かれたらどこか違うかもなって感じると思う。
そんな考えから、平和って幸せなんじゃないかな。私はそう思うのよね。
細かい話をするけど、今、平和は幸せと書きました。しかし、幸せのイコールは平和だとは思わない。幸せには、平和はもちろん、楽しさであったり、嬉しさであったり、充実感もあると思うから。
幸せは、これらの感情を包括しているものだと私は思ってる。
ま変な話さ、戦争で負けなしの国、連戦連勝の国は平和かなーって思うのよね。もちろんその国自体に犠牲はあるだろうから完全な平和かどうか難しい。(日露戦争の日本や、太平洋戦争のアメリカとかね)けど、戦争で得られる平和もあるのかなって私は思うのよね。現に国土は守れたし。
「戦争の対義語は平和なのか」の話に戻すけど、平和にするなるための戦争があるなら、戦争の対義語は平和ではない気がするんだよね。
もっと砕けた言い方をすると、右に行くために、左に行く。これはおかしな話じゃん。逆に向かってますやんって。そう思うのは、右と左が対義語だから。
でも、平和になるために戦争をする。これは少し理解できる話だと思うのよ。そう思うのは、平和と戦争が対義語じゃないから。
こんな理屈から、戦争の対義語って平和なのかなって思うのよな。きっと。
長々と戦争とか平和について書いたけど、何が一番言いたいことかって、今の幸せを存分に感じて生きようってことなんよ。
「足るを知る」ことは大事だよなって。
じゃまた。
今日の余談「ラッキージュースのひとことを一部変更しました」
このブログのひとことが前までは「ポジティブな思考で後悔のない人生に」だったのですが、どんなに頑張っても後悔ってちょっとは出てきちゃうと思うのよ。その時に最善って思った行動が最善ではない時ってあるやん。
だから、後悔のない、だとかなり無理があるから、「ポジティブな思考で後悔の少ない人生に」に変更しました。
細かな違いかもしれないけどね。