ラッキージュース

ポジティブな思考で後悔の少ない人生に

ヒッチハイクで旅行に行きました。

おはようございます。

 

8月20日日曜日です。全く崇拝されないとある「神様」の誕生日です。おめでとね。

 

前回の投稿が8月の10日だったので、お久しぶりですね。

 

この投稿間隔は、毎日投稿をすると言っている人のそれじゃないよね。申し訳ない。

 

少しは反省してます。

 

 

けど、投稿できなかった理由も主に2つあるのよ。

1つ目は、2泊3日の旅行に行ってた。

2つ目は、体調が悪い。

 

 

1つ目は、旅行に限った話じゃないけど、たまにしか会わない人や場所の中で、スマホいじるの勿体無いやん。

旅行に集中したいは大袈裟だけど、そんな貴重な時間を大切にしたいから、投稿ができなかった。

 

投稿できなかった2つ目の理由である、体調が悪いなんだけど、これは現在進行形でもある。

熱が出てて、倦怠感や寒気、鼻水や痰がすんごい出る。扁桃炎なんかな。病院行ったけど、病名覚えてないわ。喉の炎症とは言われた。

 

 

これが去年の年末にかかったコロナよりもきつい。

今は鎮痛剤が効いたのか症状は落ち着いてる。

 

 

 

正直なところ、私は病気には強い身体なんよ。

経験則ではあるけど、他の人より症状が弱かったり、すぐに治ったり、そもそも病気にならんかったりね。

 

けど、そんな私がこの病気には珍しく苦戦してる(気がする)。今日もきつい時がしばしばあった。

 

 

病気にかかると、体調管理や健康であること、これがいかに大事かを再認識するよ。

ありがとう病気さん。

 

 

 

さて、今日は何の話をしようか。

上の話をしたいがためにこの投稿を書き始めたようなもんだからな。うん。

 

 

ヒッチハイク旅の話する?うん!そうするか!

記憶にも十分に刻み込まれた思い出だけど、記録として残したいってのもあるし。今回の投稿はヒッチハイク旅の話しやな。

 

(後書き: この投稿長いかも)

 

 

ざっと概要の説明をすると、

お互い初ヒッチハイクの男2人で行った4泊5日の旅行。出発は東京の用賀で、目的地は京都で開始した。とはいえ、1番の目的は大津のびわ湖大花火大会に行くこと。京都は時間あるなら観光したいねって感じ。

 

 

1日目

朝早く東京の用賀駅近くのローソン前でヒッチー開始。最初の頃はヒッチハイクめっちゃ恥ずかしかった。「海老名」をスケッチブックに書いて、掲げるわけなんだが、恥ずかしいと言ったらなんの。

ローソンで1時間以上粘ったが捕まらず、場所を変えた。歩いて3分くらいのマックの前でヒッチーすることにするやいなや、乗せてくれる車が現れた。

 

用賀→海老名SA

運転手: コロンビア人男性(40前後)日本語も話せる

同乗:その人の母(コロンビア)と母の今夫(フランス)

彼らはスペイン語で会話していた。運転手の息子(日本人妻とのハーフ)のサッカーの試合を見に行き、また両親に日本を案内するという。

この人とは、「明日は風呂やシャワーを浴びないで、ヒッチハイクするかも」みたいな話をしたら、「汚ーよ」ってドストレートに言われたのが思い出。車内がピリついた。

 

海老名SAでは、どうやってヒッチハイクやるかを2人で考えた。たくさんの人に声かける作戦や、仲良くなってから声かける作戦とか。そうこうして声をかけてたけど、なかなか乗せてくれる人は現れなかった。ひかりの方が声をかけてくれた。

しかし、そんな私たちに話しかけてくれる人がいた。「沼津くらいまでならいいよ」と。

 

海老名SA→駿河湾沼津SA

運転手: 日本人男性(30前後)

同乗者: なし

彼は沼津に海鮮丼を食べに行く予定だそうだ。これまでヒッチハイクは何人か乗せた事があるという。今回は(我々が)暑そうだったのと、運転手さん自身が眠いから話し相手が欲しかったという。

彼とは弓道部の話をメインにしたが、個人的にはつまらなかった。もっと他の話題を掘り下げるべきだった。また、彼は独身貴族のような人だった。

 

駿河湾沼津SAでは昼食をとりつつ、作戦会議。

私はもっと早く行けると考えてたが、相方であるひかりは想像より順調にいってると言っていた。

このSAでも長期戦となった。なかなか乗せてくれる人が見つからない。相方が日傘をさしてるのが気に食わない私。しかし、外の気温はかなり暑く、一般人だと直射日光ガンガン当たる場所で立ち続けるのは難しいだろうと、後になって思う私。

そんな暑い中で、話しかけてくれた女性がいた。乗せるつもりはないけど、話しかけてくれたみたみたい。正直それだけでも嬉しい。そんな彼女と少し話した結果、乗せてくれることになった。

 

駿河湾沼津SA→清水SA

運転手: 日本人女性(40前後)

同乗者: その息子さん(中3)

高校の学校説明会の帰り道だそう。運転手さんは音楽の先生みたい。運転手さんが質問上手で、会話が弾んだ印象を持つ。私たちのバックグランドや就職を踏まえた今後についても話した。

個人的に印象的なのは、富士宮市(ゼロ富士を公式にサポートしてる市)に勤務されているということで、こないだ「ゼロ富士」をしましたと運転手さんの女性に話したら、「ゼロ富士、本当にやる人いるんだ!」と驚かれたこと。ま、変態しかやらないとは思いますが、います。笑

 

清水SAで名残惜しいが別れる。これが旅行。これがヒッチハイク。一期一会の出会いだったと思う。清水SAではトイレ休憩等を済ませて、すぐにヒッチーの営業開始した。

そしたら、案外早めに乗せてくれる人が現れた。静岡駅まで送ってくれることになった。

 

(この日の目的は浜松に行き、そこのキャンプ場でキャンプすることだった。だから、静岡駅から、浜松のキャンプ場までは電車で行く事をこの時に決意した。)

 

清水SA→静岡駅

運転手: 日本人男性(40前後)

同乗者: なし

静岡駅近くの歯医者に行く途中に乗せてくれた。仕事の時はヒッチハイカーは乗せられないけど、普段の時なら乗せても良いという考えがあったみたい。

大学の専攻分野の話を主にした。また、静岡のことも話してくれた。

 

運転手さんとは静岡駅で別れた。彼おすすめの駿府城跡へ行き、静岡の黒いおでんも食べた。その帰りの静岡駅で、またその運転手さんと遭遇し、驚いた。

 

静岡駅から浜松駅まで、長距離電車移動。

これをして、この旅行をヒッチハイク旅行と名乗れるのだろうか。

浜松駅では、ご飯を食べた。さわやかのハンバーグを食べたかったが、待ち時間が2時間以上だったので、別のお店でオムライスを食べた。

 

そして、浜松駅からちょっと先の駅弁天島で下車。

そこから、キャンプ場まで歩き、着いたら、テントを設営した。

その後、近くの温泉施設に行き、帰る。

 

雨の中で、小さいテントで、男2人で、荷物もテントの中にあるけど、私は寝れた。私は熟睡だ。

 

 

2日目

雨の中のテント撤収は大変だった。

その後の一か八かのヒッチハイクの営業をとある夫婦(?)にひかりがしてくれたが、失敗。けど、そこのキャンプ場から最寄駅までは送ってくれた。

本来、その駅周辺でヒッチハイクする予定だったが、雨や雷のため中止した。代わりに、電車で先に進むことにした。

キャンプ場最寄りの弁天島駅から、豊橋駅まで電車移動。また豊橋駅から富士松駅(だったっけ)に電車移動。富士松駅から刈谷ハイウェイオアシスSA(以下、刈谷SA)に直通バスが出てるので、そこで高速道路に乗り、ヒッチハイクを再開することにした。

(よう分からんけど、このバス無料なんよね。)

 

そして、刈谷SAに到着。

まずは昨日のようにやってみる。

うまくいかない。

 

場所を変えたり、スケッチブックの文字を変えたり、服を変えたり、やり方を変えたりして、やってみる。

うまくいかない。

 

 

そうこうしてたら、4時間くらいここでヒッチハイクの営業をしていた。今回で最長である。

しかし、全く乗せてくれる人は現れなかった。

(1人だけ乗せてもいいって人いたけど、行き先が微妙だから、断った)

 

気温は高く日差しも強かった。そのため、ひかりは軽い熱中症(?)になっていた。

 

我々は刈谷SAを出ることを決めた。

 

そして、刈谷SAを出てからどうするかを2人で話した。その結果、ヒッチハイクを続けたい私と(迷ってはいたが)そうではないひかりで、別行動をすることにした。

 

私は別のPAに行き、ひかりは在来線で京都に行くことになった。

 

ここからは私の単独行動。

別のPAこと守山PAに最寄りの神領駅から徒歩25分くらいで着き、ヒッチハイクの営業スタート。

そして、その時はすぐに訪れた。

話しかけた3人目の人が、ここ守山PA(愛知県)から大阪に帰る人だった。快く乗せてくれた。

 

守山PA→大津SA

運転手: 日本人男性(23)

同乗者:運転手の彼女さん

守山PA(愛知県)から彼女の家(岐阜県)に彼女を送ってから、運転手さんの家(大阪)に帰る途中で私を拾ってくれた。

運転手さんが、彼女を家に送ってる間は、彼女宅最寄りIC近くのマックで小一時間待機してた。そして、そのマックから大津SAまでの2時間くらいは運転手さんと2人きり。

運転手さんは、私と共通点が多かった。その大きな共通点は、過酷な旅が好き、という点だ。

バイク下道旅を全国的にやってる人だった。バイクの話をたくさん聞かせてもらったし、私の山旅の話も聞いてもらった。

また、私と同様に大学では社会学を学んでいるみたい。

生まれも育ちも大阪の生粋の大阪人で、会話が面白く明るい人だった。

 

大津SAで別れた。

私はそこから大津駅まで歩き、電車で京都駅に行き、清水寺近くの宿泊施設に泊まった。

 

 

3日目

早朝から清水寺に行った。開門時間の前に着いた。人が少なく、清水の舞台に誰もいない写真が撮れた。

清水寺の後は京都駅周辺をぷらぷらと歩き回ってた。んで、別行動を取っていたひかりと合流し、東寺に行った。

東寺の後は電車とバスを乗り継いで、龍安寺へ行った。枯山水だった。

その後、嵐山に行った。渡月橋を初めて見た。ご飯を食べて、天龍寺や竹林に行った。誕プレでパフェを奢っていただき、バスで京都駅へ帰った。

京都駅から大津駅へ行き、大津の宿泊施設にチェックイン。翌日の花火大会の場所取りの話をそこの施設の人から伺うことができた。

実際に会場に行くと場所取りはされていたので、我々もそれをすることにした。コンビニでブルーシートとテープと水(重り)を買い、場所取りをした。その間琵琶湖の噴水が綺麗だった。

その後、近江ちゃんぽんを食べて、寝た。

 

 

4日目

起きてチェックアウトし、近江八幡駅に行った。そこからはバスで移動し、ラコリーナ近江八幡という場所に行った。ジブリみたいな雰囲気で、自然と文化の調和が美しくオシャレな施設だった。

その後は、彦根に行って、彦根城の中に入った。彦根城の歴史を係の人が教えてくれて面白かった。

そして、彦根でご飯を食べて、花火大会に行くために電車で大津に戻った。

 

ここで聞いて欲しい話がある。

この大津に行く電車で偶然にも素敵な出会いがあった。

その出会いは、82歳の埼玉県から来た女性とのものだ。座席が対面だったので、お話をしたところから始まった。

彼女は年齢からは考えられないパワフルな行動力を持ってる人だった。青春18きっぷで埼玉県から大津まで半日かけて来ており、全国の花火大会を見に行ってるという。彼女は、勢いがあり面白い人だった。この大津のびわ湖花火も、長岡花火も同様に宿も取らずに行くという無鉄砲さや、降りる駅さえまともに決めておらず電車に乗るところや、姿勢が良いところ、話が面白いところも。。

もうね、彼女から勢いとでも活力とでも言うのかな、すごい力を感じた。

82歳かを本当に疑うくらいの笑顔が素敵な人だった。

 

この女性に尺を使い過ぎてますので巻いていきます。

 

大津駅に着き、ホテルに荷物を置き、花火大会に行く。混んでた。花火の前にご飯を食べた。花火は凄かった。ホテルに戻り寝た。

 

 

5日目

大津SAからヒッチハイク開始。なかなか乗せてくれる人がいなく、1日で帰りたい私は焦っていた。そのせいで、ひかりとのいざこざ(?)もあった。

しかし「カワゴエ」に行く人がいた。三重の川越だった。埼玉県民の私たちは、期待はしたが、そらそうよね、、って感じ。

 

大津SA→鈴鹿PA

運転手: ブラジル人女性(40前後)

同乗者: その娘さん

運転手の女性は、日本に来てトラックの運転手をしてるみたい。運転手さんも、ブラジルでヒッチハイクをした事があるみたいだった。そんな道中に雨が降ってきて、この人らに乗せてもらえなかったら危なかったと思う。また、彼女らはパンをくれた。朝ごはんをまともに食べてないので嬉しい。

 

鈴鹿PAでは涼しくヒッチハイクの営業はやりやすかった。試行錯誤をしていた。そして、そこまで時間はかからなかったと思う。奇跡が起きる。三重県鈴鹿PAから東京に行く人が我々を乗せてくれた。

 

鈴鹿PA池袋駅

運転手: 日本人男性(48)

同乗者: その息子の2人(兄が中2か3、弟が小5)

大阪の家から実家のある東京都の板橋に帰る途中で私たちを乗せてくれた。車はハイエースで、服装や所有物からしてアウトドアが好きな人だなという第一印象だった。乗せてくれた理由は、「息子たちはゲームばっかりで、会話相手が欲しかった。」みたいだった。

運転手の男性は、フリースクールの経営者で、海外ツアーガイドも行っている人だった。また、彼もヒッチハイク経験者であり、私と同様に登山が好きな人でもあった。だから、私との会話内容は、山や彼の経歴や仕事、私の就職先の話だった。また、世界の大自然をツアーする人なので、世界の話や写真も見せてくれた。

お昼は静岡県名物の「さわやか」に行きハンバーグを食べた。息子がそれを食べたがっているそうで、高速道路を使って大阪から東京に行く理由も「さわやか」に行くからだそうだ。私たちも1日目に「さわやか」に行ったが断念した口だったので、嬉しかった。

同乗者である息子たちは徐々に面白くなっていった。「さわやか」に行きたいと言っていた張本人なのに食べ残したり、意味わからない戦争シミュレーションゲームに熱中していたり、トイレが異常に近く早くだったり、会話が大阪弁で面白かったり。運転手さんだけとの会話だとネタ切れも否めなかったので、息子たちの存在は色んな意味で大きかった。

そんな彼らから終盤に、「最初は(知らない人と車に乗るのは)緊張していたけど、ヒッチハイカーを乗せるのは面白い」と言ってもらいホッと嬉しかった。

結局池袋駅まで送ってくれた。乗せていただいてから、およそ9時間くらいの濃密な時間だった。ありがとうございました。

 

池袋で夜ご飯を食べ、電車で帰った。

 

 

 

 

とても充実した5日間で、たくさんの人とお話をした。車に乗せてくれた人はもちろん、現地で出会った人ともたくさん話した。

この投稿長いかもしれないけど、これでも省いた内容もかなりある。

初めてのヒッチハイクらしいヒッチハイクだったので、最終的にはうまくできたので良かったと思う。

 

また、ヒッチハイカーを乗せてくれる人の共通点として、(良い意味で)変な人が多いと思った。また、ヒッチハイク経験者も多かった。ありがたいです。

 

 

ヒッチハイク自体が人の善意なしではできない行為である。そのため、この旅行は本当に多くの人に助けられて成し遂げられたものだと思う。

 

そして、人生もきっとそう。

 

人の善意なしでは人は生きられないと私は思う。

 

日々感謝を忘れずに生きていこうと思います。

 

 

 

ここまで長い文を読んでいただきありがとうございます。読者さんには、本当に本当に感謝しております。

今年の8月は全く投稿ができていないので、今後、その分を取り返せるように投稿をしていけたらいいなと考えております。

 

また、冒頭にも書きましたが、体調管理や健康は大切です。皆さんも気をつけて生活していきましょう。

 

 

じゃまた。

 

 

 

 

 

 

 

今日の余談「どういう字」

ちょっと笑える話を共有します。

鈴鹿PAから池袋駅まで乗せてくれた運転手さんの息子であるお兄ちゃん(中2か3)のお話。

兄弟の名前を振り返りつつ、名前の漢字が気になったので、「〇〇(お兄ちゃんの名前)さんはどういう字を書くの?」って聞いたら、お兄ちゃんが「え、あ、えーと、汚い字を書きます」って答えたのよ。

 

いやいや、そういうことじゃないって!笑

って思い笑いましたね。

 

んで、汚い字って、、、笑

 

思い返しても笑えます。

 

 

また、弟さんのこともちょろっと書くね。

すんげぇかわいい。やばい。やばかわいいのよ。まじ。癒しだった。

 

 

兄と弟、そして父である運転手さん。彼らの車に乗せていただいて本当にありがたく楽しかったです。