おはようございます。
7月19日18時43分、家の前の公園でこの投稿を書いております。
先ほどまで、家の周りを散歩してました。
普段なら走ったり自転車で通過する道の風景が、いつもと違う時間や歩いて通ると、違った風景にも見えるとか、見えないとか。
小学生の頃によく通った道も歩きましたが、その頃の思い出は思い返せませんでした。
思い出や記憶は無くなるものなんだなと実感。
それって切ないなぁ。
また、夕日が紅く綺麗でした。太陽が下がっていくように見えますが、実際は私たちが上がってる。何か不思議ですよね。
そして、西に行くにつれ赤くなる空のグラデーションが次第に薄くなってきます。段々と暗くなってきました。
徐々にだんだんと次第に、記憶も暗く無くなっていくんだと思います。
だから、この瞬間って、どうせ記憶から無くなるもの。無くなるなら、それがあるこの今を大事にしたいものですね。
そして、人生って、その今の繰り返しなのかもね。
(昨日の続きっぽい内容ですが)
はい。
今日は何の話をしようか。テーマを考えずに書き始めております。
(後書き: ↓日付が変わり、今日です。)
あ、私の明日について少し書かせてください。
明日22歳の誕生日を迎えます。そう、23年目の人生がスタートする。
で、そんな明日は、23年目の開幕日に相応しい日になりそうです。ていうか、そうします。
ネタ帳見てたら、今回の書く内容決まりました。
今回の投稿では、私の就活とその当時の私の気持ちを書いていく。そんな回にしたいです。
早速書いていきます。
まずは、私、就活大嫌い人間でした。今もですが。
「働きたくないのに就活する意味なくね」とか言ってました。
けど、そんな私が就活を始めたのは大学3年の春の就活の授業でした。
そのきっかけは、有難いことに、友達からの誘いです。就活の授業なんて取る気が全く無かった私を「取ろうよ」と誘ってくれました。
その授業を結局は前期も後期も通年で受講しました。また、この授業は、就活の基本や書類の書き方、グループディスカッションや面接対策、学内の就活支援施設の使い方まで幅広く教えてくれるものでした。
今考えても、友達から誘いやこの授業には感謝するものがある。
この授業のおかげで、私は少しは就活というものを理解できた。けど、いずれにせよ就活は大嫌いだった。
しかし、そんな私にも唯一入社したいと思える企業があった。名前は伏せるが、Mだ。
このMに入社したいと考え始めたのは、3年生の9月頃だった。私の趣味や価値観と重なる点が多く、魅力的な企業であるため、志望していた。
3年後期にもなると、周りの就活を頑張っている人らは、インターンや企業•業界研究、面接練習も行っていた。
一方、3年生後期の私の就活状況は、授業に出席し、その課題だけはこなしていた程度。3大テーマのガクチカや自己PRはそれなりに考えた。けど、同じく課題であった3大テーマの1つの志望動機に関しては、書かなかった。Mが当時新卒採用募集が無かったからだ。だから、その課題は「志望しない企業の志望動機書くのはバカバカしい」って、書いて提出してやったよ笑(今でもこの行動に後悔は無いが、私強気だなって思う)
余談ですが、3年後期の私が主に熱中していたことは、学校の授業とタンザニア旅の計画とワールドカップ。
だから、この当時の私の就活の状況として、ちゃんとやってる3年生と比べると、少し出遅れていたと思う。
そんなこんなで、春休みになる。
インターンは夏休みに1回、3年生後期は0回。企業・業界研究は授業の課題でこなした程度でほぼやっていない状態。
ただ、自己分析はちゃんとやった。というか、このラッキージュースのおかげで、私という人間の内面に関してはある程度理解していた。
また、自己投資は結構していた。って言っても、旅行や登山という好きな事をしていただけなんだけどね。けど、それを主体的に充実させてはいた。
そんな私でも、春休みに高齢者介護をしている企業さんの内定をもらった。時期は1月末である。
この企業さんは12月末に面接練習や就活の助走をつけるために受けたところ。入る気は、最初から最後まで、毛頭なかった。けど、面接練習や企業訪問、zoomでのコミニケーション等の、就活で必要とされる対人スキルの練習には大いになった。
ちなみにここ介護のところの最終面接で「御社は第一志望ではございません」と、嘘偽りなく伝えたが、内定をもらった。そんくらい私は優秀ってこと。(業界的に、人手不足で少しでも多くの内々定を出したいんだと思う)
また、「人生は偶然の連続」というが、正にそれを象徴する出来事がこの春休み、就活中の私に起こる。
偶然その1「バイト先の閉店」
1年以上勤めていたバ先が閉店することになり、新たな職場を探さないといけなくなった。
偶然その2「新しく応募したバ先が不採用」
閉店してしまう店舗の近くに、新たにオープンするお店がちょうどバイトを募集していた。閉店するお店で働いていた私たちアルバイトの内6人が新しい所の面接を受ける。4人採用、2人不採用だった。その2人のうちの1人が私。(もう1人は私の小学校からの友達笑)
これに関しては、偶然というか、必然なのかもしれないが。
偶然その3「自宅近くのMがバイト募集し始めた」
先ほど書いたオープンする店が不採用になり、私はまた新たにバイト先を探すことになった。そしたら、自宅近くのMがバイトを募集していた。去年の11月に同じMの店舗にバイトの応募はしていたが、人が足りているとのことで断られていた。しかし、その店舗がバイトを募集し始めていた。この当時のMはまだ新卒採用の募集は無かったが、バイトからなら正社員になれると分かった私はMのバイトに応募した。
このMのバイトの採用面接では正社員にも興味があると、強くアピールした。また、Mの企業研究も家族の協力を得ながら充分にやった。結果は採用だった。嬉しかった。
元々働いていたお店の閉店無くして、オープンするお店に応募は無かったし、オープンするお店の不採用無くして、Mのバイト応募は無かった。
偶然の連続です。
そして、このMのバイトとして採用されたことが、私の就活を大きく動かす。
もう一度言うが、Mのバイトとして採用されたこと、これこそが私の就活で大きな意義がある。
この頃は2月末。3月1日からのエントリー開始にいよいよ就活本番ムード。
だからこそ、就活大嫌い人間(私)にとって、この2月末は、かなり病む時期であった。
私はこの時期、M以外にも興味ある企業を探した。また、説明会に参加したり、企業それぞれのガクチカ自己PR志望動機を考えたり、面接練習もした。
そして、バイトも、大きな旅行の後だったので、シフトもたくさん入れていた。
そんな忙しい2月末だったので、私はやるべき事をやらずにいた。それはMの就活だ。
ここからはMの就活について書いていく。
Mでアルバイトとして働き始めたのは3月1日なんですが、その少し前の2月の半ば頃に、MのHPに新卒採用募集の掲載があることには気づいた。目は通していたが、行動まではできていなかった。
Mの採用選考は、最初にESを提出するわけなんだが、その締め切りは3月5日大阪の本社に必着だった。
しかし、前述したが、2月はタンザニアに行っていたり、そこから帰ってきても他の企業の就活やバイトをやりまくっていたりと忙しい日々だった。
気づいたらもうその日に速達で郵便出さないと間に合わない、そんな日になっていた。
前の日の夜から徹夜で書いた。郵送当日も10時からバイトだったから慌てて書いた。バイトにどうしても間に合わなそうだから、バ先に30分遅刻すると連絡して、何とかギリギリに提出できた。
しかし、その結果、提出したESは、顔写真の添付が無かったり、誤字があったり(下書きが誤字してたから、本書も誤字ったと推測)、書き方が雑だった。それに、顔写真を貼っていないから再提出したいとMに送ったeメールの企業名も誤字るという大惨事。
(私は名前間違えるのってかなり失礼だと思うんよね。)
しかも、このMこそが私の第一志望だからめちゃくちゃ落ち込んだ。うわ、もう、M落ちた。最悪や。って。
かなり落ち込んだ。
しかし、幸か不幸か、3月は就活とは別で、バイトで忙しかった。Mのバイトが3月から始まり、元々働いていたお店と掛け持ちをしていた。だから、とても忙しく、落ち込んでいる暇も無かった。
とはいえ、今は大学3年生の3月、就活が表立って解禁され、真面目に取り組まなくてはならない大切な時期だ。その時期にバイトを掛け持って、バイトをやりまくっている私はかなり危ない。
そんな中、1日だけオフができた。15日ぶりのオフだ。その日私は学校の就活支援施設に行った。行く途中は、バイトで忙しい時間と異なり、自分を振り返る時間があった。
しかし、この時間は精神的にとても苦しかった。その理由は、Mは落ちたと思い、他企業も受ける気にもならないからである。これからどうすればいいのかと思い悩んでいた。
学校行きのバスもギリで逃した。次を待ってたら、遅れちゃう。だから、走って学校に行ったんだが、これがまた肉体的にしんどい。
そして、その学内の施設で面談中、私は大泣きをした。自分でもこんなに泣くとは思わなかった。当時の私の状況が辛すぎて泣いたんだと思う。
そこからMの一次選考に合格するまでの期間は、ちょっと病みながらも生きてこれた。
就活支援の人の「3月に焦らなくても大丈夫、今は就活を考え過ぎない方が良い」というアドバイスを私は安直に受け止めた。
しかし、3月末にMから一次選考の合格を知らされる。
「あんなミスをした私が、。けど嬉しい」そんな気分だった。
そして、ここからの私はかなりのギャンブラーだったと思う。
その理由は、Mだけに就活を絞ったから。
(厳密には、M以外に興味が無かった。)
Mの一次選考合格を受けて間もなくの4月の上旬にMの二次選考があった。そこでは、SPI受験と2分間の自己PR動画の提出が必要であった。
SPI は何も対策してないで絶対にボロボロだったと思う。けど、私は大学受験を英数国で受けた私文生。だから、SPIの問題に関しては、ほんのちょっとだけ有利ではあったと思う。
2分間の自己PR動画は何度も何度も何度も撮り直した。原稿考える時間も合わせたら、丸々半日かかったと思う。これも時間ギリギリの提出になってしまった。
SPIは不安しか無かったけど、バイト先の先輩社員曰く、「私もダメダメだったから、大丈夫だと思うよ」って言ってもらえて心は楽だった。
そして、4月の半ば過ぎに、Mから二次選考合格の通知をもらった。ありがたい。
次の三次選考が、採用の最終選考だった。
三次選考は、5月の上旬にzoomでMについてのテストとちょっとした英会話。5月の半ばに行う本社で筆記試験と面接であった。
Mについてのテストは、バイト先の先輩社員が特別に問題の傾向と対策を教えてくれた。だから、効率良く対策ができた。
英会話も別の社員さんから、英会話あるから気をつけとけよって教えてもらってた。だから、本番もいきなり「英語で応えてください。」ってなったけど、動揺せずに応えることができた。
大阪本社に行った対面の試験は算数と国語の問題だった。SPIみたいな利益率が何ちゃらみたいな問題や、問題文から考えられる図形の面積を求める算数の問題。国語は、漢字の読み書きや正しい敬語を使う問題が出た。
その後の面接は、10分もしないで終わったと思う。M側3人の就活生1人の構図。何を聞かれても良いように、真面目に対策はしていたけど、あっという間に終わったのであまり意味が無かった。
本当にあっという間に終わっちゃったから、「これで面接を終わりにします」って言われた後、驚いた顔で「えっ?」って言っちゃった。
そしてついに、5月末にMから内定をいただけたって流れです。
ほとんど後半はMしか就活してない。
一般的に考えると、これはおかしな就活。
Mが不採用だったらどうしてたん?って話だけど、そうなったらフリーターで稼ぎつつ、世界をプラプラ放浪しようかなくらいしか考えてなかった。
一本のロープで綱渡りをしてるイメージ。
けど、私がMに落ちたら誰が採用されるんやろか、くらいの自信はあった。
それに学内の施設を本社面接の前日に利用した時、そこで面接の練習をしてもらった。本番同様に初めましての人と面接の練習したけど、「君なら受かると思うよ」と強く言ってもらえた。これも自信になってた。
とにかく、よく分からん自信があった。
それに落ちても、バイトから社員登用制度も(多分)使えるから安心だとも考えてた。
Mの就活を振り返ると、根拠のない自信や謎のセーフティーネットの存在があったので、最終の本社面接はあまり緊張せず自分らしさが出せた。
また、バイト先がMってのが1番大きいと思う。M側としては即戦力で社員として使えるから。
それに、バ先がMだったので、先輩社員さんから、採用選考についての情報を聞けたのもかなりでかい。OB,OG訪問を常にできる環境に私はいた。
最後に、最初のESから最後の面接まで、嘘なしで通れたのも案外嬉しい。
私は嘘が嫌いだし苦手ってのもある。けど、やっぱり、素の私を採用してもらえたっていう嬉しさが大きい。
偽り続けるのって非常にしんどいからさ。
ありがとうM。
これが私の就活だね。
3年生の春から一応は細々とやっていた。春休みにかなり悩み病んだ。Mの一点集中で合格できた。
まとめるとこんな感じやな。
私は、アドバイスができる立場ではないけど、個人的に就活を通してこれが大事だなと考えることがある。
それは、自己分析。
自己分析って大事だなって私は思うのよね。
色んな職業や色んな働き方がある。さらには色んな福利厚生や色んな給与水準がある。
もし、それを全部調べることができたとしても、肝心なあなたが何が良いかの優先順位が理解していないと選べない。
逆に、あなたがちゃんとした優先順位を持っているなら、色んな職業や働き方から(まだましには)選びやすいのよ。
何をやるにも、あなたが、それをやるのだから、あなたの基準で選ぶのが1番正しいと思う。
私はどんな人間なのか。と。
自己分析が1番大事で、その他は二の次。だと私は思います。私は。
この投稿は私ラッキージュースの記録用みたいなもんやね。長々と失礼いたしました。
じゃまた。
今日ポジ「ありがとう」
(この投稿を書き始めた7/19なので、7/19のポジティブです。)
私って幸せ者だなとつくづく思う。
そして、それはこの日もそうでした。
私の周りに私を幸せにしてくれる人が何人いてくれているのだろうか。
嬉しいですね。ありがとうございます。
22歳も感謝を忘れず生きていこうと思う。
ありがとう。
今日の余談「win-winな関係をいかに築けるか」
当たり前の話をします。
win-winな関係って良いですよね。
当たり前だろ!知ってるわ!だから何だよ!
野次がうるさいですが、続けます。
けど、win-winな関係って案外なかったりする。
「あちら立てればこちらが立たぬ」そんなトレードオフな関係が世の中には多い気がする。
だからこそ、この両者に得がある関係をどうやって築けるか創れるか、これってかなり考えようがある。重要度の高い考え事だと思う。
誕生日の抱負ってわけではございませんが、22歳になりました新生ラッキージュース、win-winな関係性をいかに築けるかをちょっと考えながら生きようと思います。