ラッキージュース

ポジティブな思考で後悔の少ない人生に

言語化について

おはようございます。

 

 

時が経つのは早いもので、もう10月が過ぎようとしている。

 

とはいえ、秋晴れで暖かい日が続いている気がします。

 

まだ暖かい日が続くようですが、朝晩は寒く日中も次第に寒くなってくると思います。

 

体調管理や精神管理(←特にお前。)に気をつけて、元気に楽しく生きたいものです。

 

 

 

今回の投稿は、言語化についてあれこれと話していく。

 

 

この話題は少し前にある人との会話から、アイデアをいただいた。

 

その経緯は、その人との会話で「言葉にするのって難しいよね。」といった話から、言語化する力とか語彙力を付けたいと私が思ったことから。

 

いずれは、というより、今のところは、私は将来的に言葉を使った仕事をしてみたいからね。

 

 

それでは、言語化について話していく。

 

まず、定義がブレると各々の認識にズレが生じるので、まずは言語化の定義から書く。

 

ここでの言語化とは、抽象的なふわふわとした考えや感情を、言葉で表現すること、と定義する。

 

 

で、この言語化能力があると、

1.他者への説明が分かりやすい。

2.自己理解が深まる。

3.悩みごとを解決しやすくなる。

というようなメリットがあると、私は分析する。

 

 

というのも、これらは、こんなブログでも2年以上は書いている私だからこそ感じるメリットなのよ。

 

言葉にすると、論理的にならざるを得ないから、1の説明上手になる。

また、(ある程度知性のある)人間は自分の言葉によって何事も理解するため、自身の考えを言語化することで、2の自己理解も深まる。

そして、悩みなどの考えや感情を言葉にする(言語化する)と、それを理解できるようになる。理解できれば、悩みの対処法も明確になるため、3の悩みが解決しやすくなる。

 

言語化能力は素晴らしい。

 

 

では、こんな素敵な能力はどのようにして育めばよいのか。

私なりの回答は、「アウトプットの回数を増やす」だね。

 

言語化能力を鍛えるためには、頭の中だけで考えずにアウトプットをする、だと思ってる。

 

その理由は、何か抽象的なモノをアウトプットするためには、それを言葉によって理解する必要があるから。

 

分かりやすく言えば、アウトプットは言語化すると同じだから。

 

 

反対に、アウトプットなしの頭の中で考えるだけでは、言語化能力は身に付かないと考える。

 

というのも、頭の中だけで考えると、目的を見失いやすいのと、全体が理解しづらいから。これつまり、言語化ができなくなる。

 

 

言語化を頭の中で完結させてしまうと起きる悪い例を書く。

 

(説明長すぎる↓)

 

ここには、何でアルバイトをクビにされたのだろう、という悩みを抱えた人がいたとする。

 

その人の目的は、クビになった理由を理解し、気持ちを切り替えること。

クビの原因が分かれば、対処も出来て、結果切り替えられるから。

 

だから、その人は、まずはクビにされた理由をあれこれ考える。

接客態度が悪かったのかな。レジでのミスが多かったからかな。髪の毛が長髪で、店員として相応しくなかったのかな。店長に嫌われいたのかな。人員整理かな。。

 

あれこれ考えていくうちに、クビにされた理由を探すことだけに囚われてしまう。本来の目的を忘れてしまうのだ。

 

また、クビ原因を考えていく結果、以前に考えていたその理由まで曖昧になってしまう。

 

(実話)

 

 

 

今回の例は、頭の中だけを想定した例ではあるが、文字に起こ(アウトプット)してるため、理解しやすい。

けど、これを頭の中だけでやるのは、恐らくは頭のキャパオーバーになってしまう。

 

そのため、本来の目的を見失い、全体が見えにくくなる。

 

したがって、言語化も出来ない。

 

 

 

まとめる。

言語化能力は、3つの良いことがある。

1.説明上手 

2.深い自己理解

3.悩みの解決

 

また、言語化能力を鍛えるためには、アウトプットが大切。

 

 

 

 

「言葉にするのって難しいよね。」

 

確かに私もそう思う。

感じてる気持ちや想いがあっても、伝えようとなると、また書き出そうとすると、苦労することがある。

 

これをいかにして言葉にするか。そして、その言葉は分かりやすく、面白い言葉なのか。。

 

これは、私の永遠の課題かもしれないな。

 

 

じゃまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の余談「教科としての国語」

言語化の話して思い出した。国語の話をするね。

 

小中高と教育機関で一貫して受ける科目がある。それは、国語だ。

 

国語と体育だけが、小中高の学校現場にずっといると考える。

 

算数は数学になったり、理科や社会、英語は途中からの転入だったりする。

また、図工や音楽、技術家庭等は中学や高校で転校したりしてた。

 

小学校の道徳や生活という教科に関しては、いじめられて不登校になった。

 

 

そんな中、小学1年生から高校3年生まで皆勤の生徒がいる。

それこそが、国語と体育である。

 

 

今回はその1つ国語と私の話。

 

 

私は国語が大の苦手。5教科というか全ての教科の中でも得意ではなかった。

 

筆者の気持ちは分からんし、漢字も書けない読めない。

古典漢文は、勉強する意味さえないと思ってる。

そもそもの問題文が、何を書いているのか分からない。そんなことも。

 

 

国語の偏差値は30代アラフォー。1番良くても50代前半。

高校生の時の口癖は、「国語は運ゲー。」

 

日本語喋れるし、国語なんて勉強する必要なくね。って思ってた時もある。

 

 

 

けど、そんな私が今になって思うこと。

割と国語って大事かも。

 

読解力は必要だし、語彙力も付けたい。文法を正しく使い、分かりやすい文を書きたい。接続詞に気をつけたい。副詞で面白い表現をしてみたい。日本語ならではの特殊な言い回しを使いたい。。。。

 

国語、割と大事かも。

 

 

 

結局さ、勉強って大切だよね。。。悔しいけど。。。

 

 

 

 

 

 

(古典漢文以外)