ラッキージュース

ポジティブな思考で後悔の少ない人生に

祖母が天へと旅立ち、思うこと

おはようございます。

 

最近毎日投稿が全くできていませんでした。

 

でも、昨日、私が勤めていたアルバイト先への感謝の想いを言葉にした投稿ができたので私は大満足です。

あの投稿は、3月の15日に下書きを書き始めたのにも拘らず、4月11日にやっと投稿できました。

 

時間をかけたという意味でも、そもそもの文字数としても、あれは超大作。

 

このラッキージュースに残る投稿の中ではおそらく最長かな。

あれでも、読みやすいように省いた内容もあるんだけどね。

 

ま、正直まだ切り替えられてはいないけど、今回は4月12日の毎日投稿をするね。

 

って言っていますが、まだ書くことを決めていないんです。

いつもことですが、これを書こうって思って、ラッキージュースを書き始めることって案外少ない。

 

行き当たりばったりで書いてる投稿が多い。

というか、(毎日)投稿をしているんだから、そんなにネタがポンポン出るわけでも無いしね。

 

内容が薄っぺらいのはご了承いただきたいね。うん。

 

 

今日ちょっと書きたいことは、祖母が今月の9日に亡くなりましたってことかな。

 

お通夜もお葬式もまだやっていないけど、それの後だと、様々な人の意見を聞いちゃいそうなので、私の今の心情を書く。

 

 

では早速書いていきます。

まずは、安らかにお眠りください、ってことかな。

私にとっては母方の祖母にあたる人で、よくお世話になっていた人でもある。

人が死ぬって冷静に考えれば当たり前のことだけど、それが身内の人ってなると驚くよな。

 

でも、私はそこまで悲しくならなかったね。っていうのも、彼女の家には毎週のように行っていてから、どんくらい衰えているかというのが分かってた。次第にできることがなくなっていってたからさ。最期が近いこともちょっとは察してた。

 

彼女、パーキンソン症候群っていう病気になってたんよ。この病気は体が動かしにくくなる、みたいな病気。

リハビリも手伝っていたけど、明らかに体が動いてなかった。

 

言い方悪いけど、こんな動きもできないのか、そんな感じ。

 

 

けど、私は彼女から、「死」について考えるきっかけをもらった。

 

死について真剣に考えた - ラッキージュース

 

これでも書いたことを要約して書くと、

私が祖母の介護から学んだこと、それは、衰えたく無い、死にたくない、ってこと。

 

もし私が衰えてしまって、歩けないとか話せないっていう状態になったら、死んだ方がましって私は思ってる。

 

だから、私にとっての「死ぬ」とは、今後一切、自由に歩けないと自由に話せないが両方の状態になった時なんよ。

 

もうそういった意味では、祖母はとっくに死んでいたんだけどね。。

ま、そのような祖母の姿を見て、こうなるのは絶対に嫌、なるくらいなら死んだほうがマシって思うようになったんよね。

 

 

だから、体が動くうちにたくさん動かしておきたいって思い、アクティブな趣味を始めるきっかけにもなったし、どうせ死ぬなら後悔の少ない人生が良いと思いタンザニアの挑戦もできた。

 

 

振り返ると、祖母の介護から私はたくさんのことを学んでいる。そして、それを考慮した行動をしている。

 

今の私があるのは祖母のおかげ。

 

ありがとうございました。

 

 

そして、今だから言えることを言う。

毎週金曜日の祖母の介護は、しんどかった。

 

 

2年前の夏は既に介護に行っていた。

最初は体が鈍らないためのリハビリのサポートだったり、日常生活の補助だった。

 

けど次第にリハビリも簡単な運動に変わり、日常生活は完全に手伝わないといけなくなった。

 

そして最近はリハビリすらできていなかった。

 

 

私の家から祖母の家は、そう遠くはないけど、車で15分くらい。家族と毎回行っていたけど、肉体的にも精神的にも疲れる。それを1時間から多い時で2時間くらいやるのよ。

 

はっきり言えば、しんどかった。

 

 

 

ま、でもね、それは祖母も同じだったみたい。

祖母もしんどかったみたいなの。

 

祖母は他人によく気を使う優しい人だったから、「私の介護のせいで他の人が疲れるのは良くない」と思ってたみたいなの。だから、(ここに書くかとても迷ったけど、書いちゃううね)ある時自殺を図ってたみたいなのよ。それは結局、自殺未遂で終わったんだけど、確かに死のうとしてたみたい。私はこれをしばらくたった後に聞いた。

 

これ聞いた時は驚いたし、悲しくなった。

 

正直私もしんどかったけど、自殺を実行させちゃうほど追い込まれていたんやなって。

 

 

自殺って考える事はあっても、実行まではいかないもんやん。なんだかんだで怖いから。

けど、その恐怖をも超える自殺願望よ。

 

本人が1番、しんどかったやろなぁ。

 

 

ま、数年ほど前は、問題なく話せて歩けるのに、いざ病気になったら、それができなくなる。

 

絶対に本人が1番しんどいよなぁ。

 

 

介護する側もしんどいけど、もちろんされる側もしんどい。

そんなんになるくらいなら、私は安楽死の制度あっても良いと思うけどなぁ。

 

あ、でも、祖母は延命治療はあまりしなかった、(もしくは祖母に延命治療をさせない選択をした、)とチラッと聞いた。

 

潔く死ぬ道を選んだみたい。

死因も老衰だって。

 

病気で衰えたのは事実だけど、老衰だってね。

 

 

 

祖母との思い出はたくさんある。

のど自慢に出るほど歌が上手だったから、まだ少し声が出せる時に自宅でできるカラオケをやったのよ。歌う曲も毎回ほとんど一緒の歌だった。また、そのカラオケの採点ガバガバすぎて、私でも99点取ってた。

昔は演歌もいっぱい歌ってた。演歌のセリフのところもちゃんと歌ってて面白かったなぁ。

タンザニアに行くのも心配もあったと思うけど、応援してくれた。

私が高校生の時にした怪我で、入院してた時も来てくれた。この時に一番辛かったのが手術後、麻酔が切れた時。けど、その時に私の所にいてくれたのが祖母なんよ。ナースコールも押せない辛さだったけど、祖母が看護師さんを呼んでくれたのよ。懐かしいな。

折り紙が得意で、折り紙を何枚も使って作る作品をくれたり、昔行った旅行先での笑い話を教えてくれたり。。

 

祖母との思い出はたくさんある。

 

 

今はまだ祖母が死んだという実感はない。

だから、金曜日の夜に祖母の家に行かないのは違和感がある。

 

お通夜とかお葬式はまとめて1日でやるみたい。

その時に実感するんやろか。

 

 

安らかにお眠りください。

 

 

 

まとめ

祖母が天に旅立った。

悲しくはない。

毎週金曜日に介護をしていた。

「死」を考えるきっかけをくれた。

正直、介護はしんどかった。

けど、自殺を実行するほど本人の方がしんどい思いをしていた。

老衰だった。

思い出がたくさんある。

安らかにお眠りください。

 

 

皆さんも周りに大切な人がいると思います。

少しでも、ちょっとでも、大事にしてください。

その人がいつ死ぬかは分からないから。

 

そして、もちろんあなた自身もいつ死ぬか分かりません。

 

今できることは今する。

できるだけ後悔の少ない生きた方を歩んでいきましょう。

 

(私自身に言ってる)

 

 

じゃまた。